ヌーラボのインタビュー企画第18回目。20回目までもうあと少し!
今までは比較的入社から長いメンバーを中心にインタビューしていましたが、これからは2020年入社のメンバーにもスポットを当てたいと思っています💡🎤今日は、今年6月に入社したApps課の藤森さんのインタビューです。藤森さんの前職はサンフランシスコにある日系企業✨かっこいい響きすぎる!今日は海外を志したきっかけや今までのお仕事について聞いてみたいと思います。
今日のInterviewee
サービス開発部 Apps課 藤森 一矢
(写真一番右)
2020年6月にヌーラボにフロントエンドエンジニアとして入社。SIer、日系企業のサンフランシスコオフィス勤務を経て帰国後はフリーランスに。その後ヌーラボに就職を決める。コロナ禍での入社となったため、いまだ東京事務所への出勤は1回だけしかしていない。
もちろん今回もオンラインでインタビュー🎤
学生時代は遊びも学びも全力
— コロナ禍真っ最中の6月にご入社いただいてもう5ヶ月ほど。初めて今年度入社の方にインタビューの機会をいただきました!改めてヌーラボに入る前のことから教えていただければと思います。大学時代も理系のようですが、エンジニアに繋がるような勉強をされていたのですか?
今日はよろしくお願いします!
数学や物理が好きだったので、大学は理系を専攻しました。世界史のような暗記量がものを言うような文系科目がすごく苦手だったので、消去法で選んだ側面もあります(笑)。専門分野は機械科学で、大学院まで含めて6年間学びました。この分野では、例えば飛行機の飛ぶ仕組みや車のエンジンについて学びます。中でも僕が所属する研究室では「宇宙ロボットのダイナミクス」がテーマでした。90年代から始まった研究で、その領域を代々進めている研究室だったんですよね。
宇宙という言葉がある通り、本気で実験するには無重力空間を作る必要があります。そんなことは簡単にできないので、机上で数値と向き合ってばかりの研究でした…。
— あら意外!まだここまでではITの世界とは出会っていらっしゃらなかったんですね!その他、学生時代に打ち込んでいたことはありますか?今テレワーク中なので、案外趣味の話とかもするお時間なくって…是非聞きたいです!
僕の出身大学は、文系学部がメインキャンパスにある学校でした。僕もメインキャンパスにいきたかったので(笑)、あえて文系の人が多いサッカーのサークルに入りました。キャプテンも務めたのですが、なにせ文系だらけのサークル。理系の授業の多さと研究の大変さとはギャップがすごくて。バイトも課題も必死で終わらせて昼の14時からの練習にも参加していました。理系だからって参加できないのは、なんだか悔しくって…!
ど真ん中にイケイケな藤森キャプテン
終身雇用がない時代に、自分は何ができる?
— ああ、大学に入ると理系・文系のギャップありますよね(笑)その後、機械工学を勉強された後にIT企業を志されたきっかけはあったのですか?
機械工学といっても周囲にIT企業に就職する人が多い環境でした。当時はEvernoteに出会って、研究や授業の記録にも活用していました。初めて使ったときは感動しましたね。ぼんやりと「利便性」に繋がるような仕事がしたいと思っていたのですが、そんなサービスとの出会いから「僕が利便性を感じる物はITだ」「クラウドがこれから人間に行動変容を起こすぞ」と感じました。
工学部のレポートは手書きでの提出が必須、USBも使う場面がある頃だったので、余計にそんな思いを持ったかもしれません。
それで1社目の大手のSIerを選んで入社しました。電子カルテを扱う部署に所属していたのですが「SE」という配属ではあったものの、お客さんである大きな病院とコミュニケーションをとるのが仕事。実はコードは研修でしか書きませんでした。
— え、そうだったんですか!?てっきり社名からも職種からもコード書いていると思っていました。大手企業であまり辞める人も多くなさそうな気がするのですが、やめられたきっかけはありますか?
それが、社会人1年目にして終身雇用に疑問を持ってしまったんです(笑)。大きい会社だったこともあり、勤続年数が長い人も多かったのですが、ふと「終身雇用はない」という前提を持った時に、自分はこのままここにいて大丈夫なんだろうか…と不安を抱えるようになってきました。自分が仕事でつけたスキルがうまく人に説明できなくて「〇〇ができる人」と言えないことに気づいちゃったんですよね。基本的には顧客や開発チームとの調整が仕事の主でしたから。
そこから「いつまでいようかな」と考えることが多くなり、悩んでるくらいだったら新しい道に進もうと思って2社目に入ります。
エンジニア、そしてサンフランシスコへの挑戦
— 早く気づいて軌道修正する行動力はすごいですね。その後、サンフランシスコに渡ってしまうのも本当にすごい(笑)。何がきっかけで職種も住む国も変えるという大きなチャレンジに踏み切ったのですか?
2社目は日系企業のサンフランシスコオフィスでした。1年半という期限が決められたビザを取得し、ビザの更新は保証されない採用です。実は職種を変えたこともあって、社会人2年目としてはすごくいい待遇というわけでもなかったんです。ただ、自分の中でも順当なスキルアップとしての転職ではなく「最初からやり直す」という気持ちがあったのでもう飛び込んじゃいました。自分一人のことだけを考えればよかったので、貯金や結婚よりも、当時はとにかく自分のスキルをあげたい一心でしたね。1年半で1社目をやめているので、このチャレンジでリターンだけは絶対得ないと!と必死でした。
転職活動では最終的にサンフランシスコの前職に決まりましたが、サンフランシスコに絞っていたわけではなかったのでエンジニアの僕にはラッキーでした。
— サンフランシスコって本当に物価が高いから、待遇って結構気になる要因かもしれませんね…。だって一風堂で50ドル使ったもん…(恐怖の記憶)。
そうです(笑)なので最初は外食もあまりせずに職場と家の往復。僕も一風堂で1万円使ったことがあります…一風堂に行ったらしばらく自炊、という自分のルールができましたね(笑)しばらくして少し仕事の成果をだせたタイミングで上司に給与交渉して待遇をあげてもらったのですけど、お金について話すことの心理的ハードルは高かった気がします。
SXSWで気づいたプロダクト開発の面白さ
— 生き抜く力が身につきそうですね(笑)この転職はゼロからのチャレンジだったと言うことですが、なんのポジションで採用されたんですか?
最初はAlexaアプリの開発プロジェクトにいれてもらいました。シリコンバレーで流行っている技術をキャッチして、たくさんプロトタイプを作ってみる部署の所属だったので、とにかく新しいものに取り組んでいました。
僕が渡米したのが2017年春で、Alexaが日本に上陸したのは2018年。実はまだAlexaが日本に上陸していなかった頃なのですが、日本にいるときに自分で海外駐在員のブログを読んだことがきっかけで僕も個人でAlexaアプリを開発したことがあったんです。その経験をみられて配属されたのだと思います。Alexaから始まりWebアプリの開発も勉強しながら関わる機会をもらえました。
当時は何社か集合して働いているコワーキングスペースのような場所にオフィスがあったので、他社の人とも日頃から関わる機会がありました。日頃から雑談して面白いアイデアが浮かんだらさあ作ってみよう!という、まさにシリコンバレーっぽいスピード感がある環境です。そのオフィスではセカイカメラを開発した井口さんも働いていて、ひょんなことから一緒にプロトタイプを作ってみる機会を得ました。そしてそのまま2ヶ月後に迫っているSXSWにブースを出してプレゼンテーションすることになったんです!
シェアオフィスでのひとこま
とはいえ出展は2ヶ月後だったので完璧なプロダクトを持っていける状態ではありませんでした。なので出展している期間中も、ブースに来てくれた人のフィードバックを活かして改善を続ける日々。SXSWに出たことももちろんいい経験だったのですが、この期間中にフィードバックを生かすサイクルを回す経験ができたことが何より貴重でした。3〜4日目くらいからブースに立ち寄ってくれる人が増え、こちらのプレゼンテーションに対して良いフィードバックがもらえるようになりました。これが自分でサービスを創り出す楽しさを知った瞬間でした。
当時のSXSWの記事:https://thebridge.jp/2018/03/sxsw-2018-interactive-trade-show-day1-snapshots
— 素敵な経験すぎる!しかも本場でSXSWだなんて羨ましいなあ。渡米してからの英語の学習とかはどうしていたんですか?ヌーラボでは少なからず英語を使う機会があると思うのですが、当時はフル英語ですよね?
いや、それが…日経の会社に就職したので周囲は日本人だらけ。本社とのやりとりももちろん相手は日本人。住んでいるところはアメリカでしたが英語を仕事で使う場面はかなり少なかったんです。もちろん会社にはフルに英語を使っているプロジェクトもあったので僕の行動力が足りなかったかもしれません。
そんな環境だったので、プライベートで英語を学びました。大学時代も取り組んでいたサッカーを活かして、現地ではよく使われている「meetup」というサービスを通じてサッカーのサークルに参加するようにしていました。新しい友達もできて良い経験でしたよ。とはいえ、meetupを使って集まるメンバーもヨーロッパなどから期間限定ビザで働きに来ている人ばかり。みんな第2外国語としての英語だったので、ネイティブの人と接する機会は少ないままだったんですけどね。
次のステージは日本。サービス開発・運用の経験を積む為に
— これまた意外!でも1年半という限られた期間をしっかり使っていらっしゃったんですね。帰国を迎えてその後どうするかは決めていたんですか?帰国しないという選択肢もあったのかもしれませんが。
渡米直後はとても焦っていましたね。今後、しっかり成果を出していけるようにするためにも、いま習得できるスキルをつけられるだけ実につけ、形にしなければいけないと思っていました。「〇〇をした」という人に報告できるエピソードがほしいとも感じていました。そういう意味でもSXSWに出展できたことはラッキーでした。
ITサービスを作りたい、ソフトウェアエンジニアリングの道で生きていきたいと言う方向性は固まっていました。そのままアメリカに残る選択をとらなかったのは、日本に帰った方がスキルアップのチャンスをたくさん得られると考えたからです。英語のハードルがある中で、技術的な面でライバルたちを超えていくのは難易度が高いと思ったので、もう一度日本で働いてスキルを付けようと思いました。
帰国後は、今まで仕事で関わった方からプロジェクトを手伝ってもらいたいと声をかけてもらえたので、流れでフリーランスになりました。
— そうか、藤森さんって常に自分を俯瞰してみて位置を正しく捉えようとされていますよね。尊敬。フリーランスでたくさんのプロジェクトに関わっていたと思いますが、その後ヌーラボに「就職」という形を選んで入社してくださった理由はありますか?いまヌーラボで取り組んでいる仕事も教えてください。
ヌーラボくらい、ある程度規模の大きいサービスをやってみたかったんです。大きなサービスにコミットしようと思うと、就職した方が良いなと感じたんです。
ヌーラボに入ってからはヌーラボアカウントなどを開発しているAppsチームでフロントエンドを担当しています。今のところ東京事務所には1回しか出社していませんが、なんとか仕事はできていますね。
趣味の海外旅行。コロンビアの友人の家に1ヶ月滞在したそうです!
— そうなんですよね、私も1回しかまだお会いしていない…!歓迎会したいですね。面接させていただいた時は、今後フルスタック的に領域を広げていきたいご志向なのかな〜とお見受けしました。最後に今後やりたいことなどがあれば教えてください!
はい、領域を広くやりたいタイプだったんです。その方がスタートアップのような環境で開発に関わった場合に活きる人材になれるのではないかと思って。でも今はある領域に深い知識をつけることが先ではないか?と悩んだりもしています。なのでまずは、フロントエンドのスキルを高めることに集中しようと思っています。流行りの移り変わりも早い領域なので、しっかりついていけるように頑張りたいですね。
あとはチャンスがあればシンガポールオフィスに行ってみたいです!早くコロナが収束することを祈るばかりです。
— 藤森さん、今日はありがとうございましたー!
最後はなぜかアメリカでイベントの時にお会いしたという桃井かおりさんとのツーショットでお別れ