ヌーラボのAngelaです。私はブログという形でヌーラボのメンバーを紹介していますが、社内Podcastという形でメンバー紹介を行っているヌーラバーもいます🙋♂️
今日は、そんなPodcastを運営する福田さん(通称:まっきーさん)からお話を伺います!
今日のInterviewee
サービス開発部 Backlog課 福田 誠
長崎県の焼き物で有名な町「波佐見町」の出身。高校卒業後、佐賀県の会社にWebデザイナーとして就職。その後、2015年に2社目の会社としてヌーラボに入社。入社後はBacklogを担当しつつも、社員の名刺のデザインやセキュリティカードのデザインなど、ありとあらゆる業務を担当している。
高校時代からデザインの道へ
— 改めて今日はよろしくお願いします!インタビューは13回目を迎えましたが、私より早くに入社した人のインタビューって…前回の内田さんに引き続き、まだ2回目なんですよ🤭改めて長崎にいたころのお話から教えてください。
出身は、長崎県の波佐見町という日本有数の焼き物の名産地です。小さな町ではありますが、ヌーラボにはもうひとり波佐見町出身の人がいるから驚きです。
土地柄の影響もあって地元の人の2,3割は焼き物関係の仕事についたりしていたこともあり、学生時代は日常的に焼き物やそれに関連したものづくりにふれる機会が多かったですね。
学校でも焼き物を体験する授業があったりと、とにかく幼少期からものづくりに触れることができる環境で育ちました。小さい頃から絵を書いたりすることは好きでしたね。そんな環境のせいか、自然と進路や職業の選択肢として「デザイン」に関連するものが自分の中にあったのは大きかったです。
だからというわけではないのですが、近所にデザイン学科のある工業高校もあったので、結果的にその学校を目指すようになりました。今思えば、少し変わった環境で育ちましたね。
高校時代のデザイン課題の制作物4点の写真
— もう早速、高校時代から今の仕事に繋がることを身につけていたのですね。私は大学4年になっても将来のこと見えなかったから尊敬…。高校でデザイン科ってなかなか珍しいと思うのですが、具体的にどんなことを学んだのですか?
今の仕事にも生きているデザインの基礎、実技部分は、だいたい高校で学んだと言ってもいいくらいです。当時の専門学校レベルのことをやっていたと思います。具体的にな授業の内容はポスターなどを絵具を使ってデザインする授業が多いですが、木工・陶器・動画制作・デッサンなど、授業は幅広くて充実していました。
デザインの授業は作品制作はもちろんのこと、課題に対して作成した意図や背景などを発表する場を課題毎に設ける流れになっていて、その場でクラスメイトや先生からの質問やコメントをもらっていました。手を抜いていたり時間が足らずに中途半端になっていたりすると大体そこでわかってしまうので、制作物に対する心構えや成果物に対する説明の重要性など、単純に手を動かすだけではない部分のことも学ぶこともできたと思います。
その一方、最終学年の3年生になると1日の半分近くが実習になるので、数学や英語の時間はほぼ皆無だったと思います。ヌーラボでは仕事で海外のチームともやりとりをしているのですが、久しぶりに英語を使ったわけなので最初はかなり苦労しました。
当時はいまほどグローバル化していなかったと思いますし「海外で働く」「英語を使って働く」という選択肢が頭の中になかったので、学生時代に英語を頑張るつもりがなかったんですよね。ヌーラボ入って間もない頃、簡単な英文を書くのにかなり時間がかかっていたのを今でもよく覚えています。
制作会社を経てヌーラボに入社
— それでも今、バリバリ英語で海外メンバーとも仕事をされているのですごいっす。最近はデザインという基礎を備えた人で優秀な人がたくさん排出されているからか、その分野の学びの深さがなんとなく分かった気になったいたのですが、そういう勉強しているからなんですね。卒業後は就職ということですが、どういった想いで進路を決められましたか?
当時、大学や専門学校といった進学にあまり興味なかったので、就職することにはしていたのですが、具体的にどういった就職先を選ぶかは決めていませんでした。ちょうどその時、プロフェッショナル仕事の流儀の中村勇吾さん回を見てWebの分野に興味を持ったことがきっかけで、今もいるWeb業界に進路を定めました。母校からWeb業界への就職の実績はあまりなかったのですが、ちょうど就職の年にデザイン関連のコンテストのようなもので母校が注目されたことをきっかけにWeb系の企業への門戸も広がったので運がよかったです。
なので卒業制作もFlashを使った部活の紹介コンテンツを作りました。当時はActionScriptを使ってやれるほどの知識もないのと、Web関連の内容は授業は扱ってなかったので独学でタイムラインベースで実装したことを覚えています。
最初に就職した会社は佐賀県にあるWeb制作会社です。東京の案件を佐賀で行う、いわゆるニアショアのスタイルの会社です。東京の行政団体の案件や堅めのイベント、地元や九州の大きめの会社や大学の案件を手掛けました。
Webデザイナーとして就職しましたが、技術的な変化やスキル的な変化もあり、社内での役割が少しずつ変化していきましたね。最初は大したこともできないので簡単なニュースページの作成やバナーの作成などやっていましたが、そこからWebサイトデザイン、Flashエンジニア、フロントエンドエンジニアと、自分の興味のままに勉強して、それが仕事につながっていきました。
— ここにはかけませんが、かなり大きい案件を手掛けられていたんですね!もうその次がヌーラボってことですが、どんな経緯で?
クライアントありきの仕事スタイルを変えてみたかったので、次は自社サービスの開発ができる環境に行こうと思っていました。受託をやり続けることよりも、サービスで利益を作る事業の方が、生活が豊かになるのではないかなと思っていました。
ヌーラボには2015年12月にフロントエンド(マークアップエンジニア)として入社しました。実は、その1年前にも同じ職種での募集をみていたのですが、アプリ開発の知識とかもう少しつけてからじゃないと難しいと思っていたので1年修行してから臨みました。
入社してからは「サル先生のプロジェクト管理」を、着手してから2ヶ月ぐらいでリリースしました。
その後、Backlogの画面を大幅に変更する「Backlogリニューアル」のプロジェクトに参加しました。振り返ってみると実際にリリースされたサービスの開発はこれが最初でしたね。
— あー、ちょうどこのプロジェクトが佳境を迎えているころに入社しました。新UIの説明会の会場がなぜか私の前職で、台風の中説明を聞きにいきました(笑)
2016年末にリリースだったので、そうですね!このプロジェクトでは、UIコンポーネントを使ったり、足りないUIとかも自分で作りながら画面を作っていきました。想像以上にたくさんのUIや機能があって、まずは把握するところからだったので大変でした。特にコメントを投稿するUI(コメントエディター)は試行錯誤していて開発メンバーが各々で「ぼくのかんがえる最強のコメントエディター」をCacooで作成し、持ち寄ってそれぞれのUIを見ながら議論を深めたりしていき開発を進めていきました。
「Backlogリニューアル」プロジェクトでは、まずβ版のリリースをしてフィードバックを受けたのですが、大量のフィードバック量とたまに届く辛辣な内容に頭を悩ませながらもサービスを作っていくという過程を経験できました。
その他にも名刺のデザインリニューアルやイベント等のノベルティ、印刷物のデザイン、ドメイン移行の対応、それに伴った日本語版と英語版のコーポレートサイトの構成を揃えてのリニューアル等を担当してきました。ちょうどこの頃からニューヨークにいるデザインチームとのコミュニケーションも増えてきました。エンジニアリングと異なり、デザインのニュアンスの部分を不慣れな英語で対応するのはかなり難しく苦労したことを覚えています。
以前は日本でもBacklogのデザインを行っていましたが、ちょうどBacklogリニューアル以降ぐらいから全てのプロダクトのデザインをニューヨーク社にいるメンバーで担当しています。より海外で受け入れられるプロダクト創りのための体制に変わりましたね。
今はBacklogの中でも海外市場でもっとBacklogを受け入れてもらうための機能開発をすることで「Product Market Fit」を目指すチームに所属しています。メインはフロントエンドの担当ですが、今後のことを考えて時間をかけてでも今まで触ってこなかったバックエンドのスキルも伸ばしていこうと取り組んでいます。
ヌーラボの文化とヌーラボに「向いていない人」
— このインタビューは、ヌーラボに入社を検討している人もみていると思うのですが、せっかくなので前職とヌーラボ、転職の際に感じたギャップなどがあれば教えてください。
今となっては僕の中で当たり前になっていますが、当時入社してびっくりしたことは結構ありました。
まずは英語学習の時間とミーティングの時間が重なった時に英語学習を優先してミーティングの時間を変更してたことでしょうか(笑)。個人の事情より仕事を優先しなければいけないと思っていたので些細なことですが結構衝撃的でした。また、前職の癖で当たり前のように21時くらいまで業務をするつもりで仕事に臨んでいたのですが、ヌーラボの場合は18時過ぎるとみんな帰り始めてしまって、20時にはほとんど誰もいなくなってしまったので、最初は焦りました。
仕事の流れも結構違っていて、前職ではWeb制作の受託業務だったので仕事のフローや役割が決まっていることが多く、ほとんどの案件が営業やPMの人がクライアントと要件などをまとめて、制作する人はまとまったところからスタートするということが多かったです。
逆にヌーラボでは仕事(タスク)が発生するフローがあまり決まっていなくて、Typetalk上でのメンバー同士の会話、Twitterやお問い合わせからの要望、世の中の動向を見据えたプロジェクトなど、発生する場所はバラバラですね。チームによってどういう基準で開発を行うかは違ってきたりしますが、合意がとれているのであれば自分が必要だと思った機能を開発したりすることも多いです。受託とは違い、自分たちでサービスを作るということを実感できた瞬間でもありました。
そういう文化もあってか、開発しているサービスも結構カジュアルに使っていて、普段の開発では誰かの承認が無いと課題が完了できないとか、ガチガチの管理体制で権限が気軽に変更できないということはないので、自由度の高い文化だからできたサービスなのかなと感じるところはありますね。
コミュニケーションを目的とするサービスを開発しているということもあって、普段仕事で関わらないような人との交流を深める一環として部活動制度などもあるというのも印象的ですね。部活動制度自体は私が入社して数年後にできたものですが、それ以前から違うチームメンバーであっても同じ趣味を持っている人同士で活動していたので、そういうところが会社の文化として根付いていると思います。
ヌーラボ本社の7FにあるCafe Spaceでダーツを楽しむ福田さん
— 私は人事で採用に関わっていますが「ヌーラボの求める人物像は?」ってよく言われるんですよ。いろんな人が一つの組織に存在することに意義を感じているので、正直「正解」って持ってないんですけど、すでにヌーラボ歴5年のまっきーさん的な視点から、思うことありますか?
「求める人物像」と言われると難しいですね。いろんな人がいて良いと思います。ただ、こんな人はヌーラボだと楽しく働けないかも、という人物像はあると思います。
一つ目は「批判家」の人。チームでサービス開発をやっているので、誰かがやっていること・やったことに対して批判ばかりしていて自分ではなにも行動に起こさない人は、周りからみると一緒に働くにはやっぱり楽しく働きづらいし、一緒に気持ち良く仕事をするのが難しいかなと思います。
本人的には正しいことを言ってるつもりになりがちですが、ほとんどの場合色んな事情や制限のなかで活動しているので、何事も相手の立場を想像し、リスペクトができる人は良いですよね。
二つ目は、「気合」「根性」「頑張る!」ということを大切にするタイプの人です。もちろん時にはそういった「気合」も重要だと思います!ただ、常時そのテンションでは課題解決にはつながらないと思っています。ヌーラボは子育て世代も多いですし、働くスタイルもそれぞれに異なるので重要だと思います。
三つ目は、他者と違う考えを許容できない人です。ヌーラボは働くスタイルも場所も人種も様々なので、自分中にある「べき論」にこだわって他の人の考え方の違いを許容できないと楽しく働くことは難しいかもしれないですね。全て受け入れる必要はないですが、許容できる領域が狭いと小さなことでもイライラしたりしてしまうので快適な職場環境とはいえないかもしれないです。
— めっちゃ良い回答いただきありがとうございます…!最後に今後まっきーさんの取り組みたいことや野望ってありますか?個人のことでも、仕事のことでも!
悩ましい質問です(笑)昔は「こうしたい!」「こうなりたい!」という考えで行動することもあったんですが、やってると結構疲れるのでここ何年かはできるだけ自然体のまま、どうやって楽しいと思えることを成し遂げていくかを考えています。
社内でやっているPodcastの取り組みなんかも、意義・目的は体面的にはありますが、まずやろうと思ったのは「楽しそうだから」なんです。損得感情なしで、今取り組んでいることを継続することによって、自分の将来やキャリアにつながればそれで良いと思っています!
— 今日はありがとうございました!