インタビュー企画23回目!最近更新を少しサボり気味でしたが、インタビュー担当の人事が2名体制になった(!)ことで、よりヌーラバーのことを皆さんにお伝えできる機会も増えると思います🎉
今日はBacklogエンタープライズ版を担当している中村壮一さん(以下、souさん)のインタビューをお送りします!
ヌーラボへの入社をきっかけに関西から関東へ引っ越してきたsouさん。関西時代の活動や上京のきっかけなども伺います🎤
(Interviewer:Angela /Writing:Yoshida)
今日のInterviewee
サービス開発部 Backlog課 エンタープライズチーム 中村壮一
大学卒業後、関西のシステムインテグレーション会社にてフロントエンド・バックエンド・インフラの全てを経験。その後2018年にヌーラボのBacklogエンタープライズ版の開発担当として入社。プライベートでは、UNIXコマンドやシェルプログラミングの活用方法を広めるために東京の勉強会の大阪支部を立ち上げたり、技術評論社が発刊する Software Design にて「シェル芸人からの挑戦状」の連載を持つなど幅広く活動している。ヌーラボ東京事務所ではボルダリング部に所属。
教員志望からエンジニアに。常に「勉強しなければならない」環境に身を置きたいからこそ選んだ異世界への道。
—souさん、今日はよろしくお願いします!実はsouさんの学生時代など全然知らないのですが、大学の専攻などからお話しいただいても良いですか?
大学は大阪教育大学で「小学校教員養成課程」の中で理科を専攻していました。
教員になりたいというよりは、五教科と技能科目を合わせて広く学習することができるという不純な理由で小学校を選択した記憶があります。小学校教員は卒業のための必修科目が多いのですが、卒業に必要のない専門の授業も受講したりといろいろとやっていました。
期待を胸に教育実習に向かったのが大学4年生の時。4週間の期間だったんですが、そこで自分が想像していた世界と現実との間に大きなギャップを感じてしまったんです。あの期間は正直、すごくきつかったです…(遠い目)後にも先にもあの期間よりも辛いと思ったことはないかもしれません。
ただ、この経験があるからこそ、その後にどんな状況になっても乗り越えられているという自負はあります。
— そうだったんですね…!教員を目指していたのは確かに意外でした。でも、どうして“エンジニア”という教員とは全く違う世界への道を選ばれたんですか?
大学の時にプログラミングはほんの少しだけかじっていました。
ある日大学で「この方程式からグラフをプロットしなさい」という課題が出たんです。手書きでプロットする前提の課題だったのですが、あまりにも面倒だったので、プログラムで書いていいか確認してTiny BASICでグラフを書きました。Tiny BASICを選んだ理由は特になくたまたまだったと思うんですが、当時プログラミングはほとんどやったことがなく、頑張ってBASICのリファレンスなどを見ながら書いた覚えがあります。
結局手でプロットするのと同じくらい時間はかかってしまったんですが、パラメータを変えて出力し直すなどはやりやすかったので、良かったんじゃないかなぁと思っています。そうやって新しいことを自分で調べたり、学んでいくのは昔から好きだったのかもしれません。
就職活動では、IT企業3社、その他の業種の企業の話も聞いて回ったんですが、前職であるシステムインテグレーションの会社は、社員の人たちと話が合い「ここで頑張って勉強しよう!」と強く思えたことが、入社の決め手です。面接が盛り上がりすぎて、時間切れで追い出されてしまった思い出は今でもとても懐かしいです。
学生時代、プログラミングを専門でやっていたわけではないので不安がないわけではありませんでしたが、むしろ入社してからも常に「勉強しなければならない」環境に身を置きたいと思っていたので、この選択は自然だったのかもしれません。
実際、入社してから毎日ものすごく勉強していました。
2年前のGeneral Meetingの1コマ。わからないことはとにかくすぐに調べるsouさん。
何でも挑戦してみたい性分にはぴったりの裁量権の大きい環境
— さすが、souさんの勉強熱心な姿は昔から変わらないんですね!前職では結構大きなプロジェクトに入られていたようでしたが、どんなプロジェクトに関わられていたんですか?
入社して最初の仕事は、大手百貨店の基幹システムの設計・開発の仕事でした。
情報システム部の二次請けの仕事だったんですが、メインフレームのシステムがCOBOLで動いているもので、最初は僕は“COBOLではない方全般”を担当していました。そこでVB6やJavaのプログラム、Windows Server上で動くバッチその他のメンテナンスなどを担当していました。
”COBOLではない方”を担当している人が少なかったことと、元々興味の範囲が広いこともあって、共有サーバーにある資料を隅から隅まで読んだりもしていました。システムの初期の設計から現在の状態になるまでの経緯を想像したり、自分の担当している部分の外側まで含んだ全体の設計を見たりするのはとてもワクワクしました!
また、他の人の書いた資料を読んでテクニックを盗む、というようなことも楽しんでいました。そういうことをしているうちにだんだん他の方が担当している箇所にも興味が湧いてきて、メインフレームの方も教えてもらい、結局かなり広い範囲で仕事を任せてもらうことになりました。
二次請けの仕事ではありましたが、いろんな案件やサブシステムにも関わらせてもらって、貴重な経験をたくさんさせてもらいました。その頃はよく「ああ、全部やれて幸せだな、楽しいな〜」と思ってました!
—最初にsouさんの職務経歴書を見た時に「ここだけやってね、と言われたらテンション下がるから色々やらせてほしい!」というのがものすごく伝わったんですが、やはり間違ってなかったですね!その他にはどんなプロジェクトを担当されていましたか?
百貨店の仕事の次は、製造業向け納期管理のWEBサービス立ち上げのプロジェクトに携わらせてもらい、営業の人を含め3人のチームで僕は開発の責任者を担いました。
お客様は大阪にある町工場だったんですが、提案・設計・開発だけでなく、提案時のプロトタイプの作成やフレームワークの選定、アーキテクチャの決定や本番・開発環境の構築、CI環境の導入までも全部行わせてもらいました。
正直、最初は規模に対する期間の短かさやメンバーの経験不足などのリスクもあったのですが、CIを導入してテストや運用・デプロイの自動化を進めて作業量を減らしたり、 業務外でツールを先行で試したりすることによって乗り切ることができて、これは自分にとって大きな成功体験だったと思います。
さらにそのシステムを町工場だけではなく、ASP的な形で取引先などにも営業をすることになったんですけど、僕も営業同行で東京出張などさせてもらいました。本当に他の同じような会社ではなかなか経験できないこともさせてもらったと思います。
「世の中を良くしていくもの」「生活を楽にするサービスや商品」の開発に携わりたい
— 本当にsouさんの「何でもやってみたい」という願望を満足させられる環境だったんですね!でも、どうして転職活動を…?
そうなんですよ。通常の二次請けだと、基本は仕様をもらって設計書を書くというのが普通だと思うんですが、自分から要件定義書を出したりとか、ここはこうした方がいいと思いますよなどの意見を言うこともできたんです。新卒から入社して、フロントエンド・バックエンド・インフラまで全てを経験させてもらってすごく恵まれた環境だったと思うんですが、受託の会社から新たな世界も見てみたいという気持ちが芽生え、そこで新たなスキルを身につけたいと思い、転職活動をすることを決めました。
東京にはよく営業同行やイベント・勉強会で行っていて慣れていたこともあり、東京の会社を中心に色々と話を聞きに行っていました。ただ「世の中を良くしていくもの」「生活を楽にするサービスや商品」に携わりたいという思いはとても強かったので、これは転職をするにあたって大切な軸にしていました。
ヌーラボのBacklogはプロジェクトを管理するツールですが、それらプロジェクトのほとんどって成功すれば世の中がよりよくなるものばかりだと思うんです。そういう部分に共感し、僕もこのプロダクトに関わっていきたいと思い、ヌーラボを受けました。
ヌーラボの面接の時は、今僕が携わっているエンタープライズ版についての課題を社員とかなり深く話をしたのですが、「今あるものをより改善していくのもすごく楽しそうだな」と興奮したのを覚えています。
ヌーラボの未来を考えようというテーマでのグループワーク
無いなら自分で立ち上げよう!とスタートした勉強会は、通算30回
— 確かに、souさんの面接ではものすごい話が盛り上がってタイムオーバーになったと聞いていました!(笑)お話に出てきた勉強会に関してはご自身でも開催されたりしていましたよね…?
2013年、社会人4年目の頃でしたかね。前職でWEBサービスの立ち上げをやっていた時、たまたま上司が東京出張をカレンダーに入れていたんです。何だろうと思って聞くと【オープンソースカンファレンス】に行くとのこと。
「よし!自分も行こう」と即思い立ち、勝手に追いかけて行ったのがカンファレンス、勉強会参加の始まりです。
そこでたまたま開催されていたUSP研究所の「シェルワンライナー」に関するセッションにものすごく感化されたんですよ。
当時僕はシェルに関して詳しくなかったんですが、Windowsのコマンドプロンプトは大学生の頃からよく触っていました。シェル芸の先生がワンライナーでFizzBuzzをやるというのを見て、僕もコマンドプロンプトでやってみようと思いトライしてみました。
当時のブログがこちらです。
このあたりの投稿が縁で、シェル芸の界隈の人たちに声をかけてもらったんです。この頃に初めてシェル芸勉強会に参加させてもらいました。
勉強会は主に東京で開催されていたので、往復3万円の新幹線や高速バスで通っていました。でもだんだんと体力的にも金銭的にもキツくなってきまして(苦笑)だったら、大阪でも集まれるようにしよう!と思い、大阪サテライトを自分で開くようになりました。
最初期は有料のコワーキングスペースを借りて開催していて、面白い場所だとお寺を借りて開催したこともあります。途中から別の勉強会で知り合った方を経由して、グランフロントにある某社のスペースをお借りできるようになりました。これは非常に助かりました。大阪サテライトの運営は引っ越しのタイミングで引き継ぎをしたのですが、そのあとも精力的に続けておられて、これまで通算30回ほど開催されました。
大阪サテライト会場を始めたことで、福岡などでもサテライト会場が始まったり、各会場でLTができるようになったりするなどとても良い効果があったと思っています。今はコロナ禍で集まることはできませんが、配信でのLTではサテライト会場での経験が生かされているなぁと感じます。
—30回も!自分で支部を立ち上げるのもsouさんらしいですね。情報誌の連載などもされていたと思うのですが、その辺りについてもぜひ教えてください!
ブログも定期的に続けていたら「一緒に本を出しませんか?」と声をかけてもらったのが、 Software Designでの「シェル芸人からの挑戦状」という連載です。数名で担当していた連載で、こちらは一昨年終了しているんですが、実は今、連載の総集編を書いているところなんですよ。当時とは内容が変わっている部分も多々あり、ほぼ全編書き直しなのでなかなか大変です。
ボルダリング部に所属し、週1回で活動。良い運動にも気分転換にもなるとのこと。
常により良い仕事の仕方、働き方を模索
エンタープライズ版を“特別”から“当たり前”にしていきたい
— リアルタイムで連載の総集編を書いているところだったんですね。そんなsouさんが、さらにこれからやってみたいことはどんなことですか?
そうですね、何かこれを成し遂げたい!というよりは、常により良い仕事の仕方、働き方を模索し続けたいと思っています。
僕が所属するエンタープライズチームは入社以来、東京と福岡でメンバーが分かれていたので、リモートでのあるべき姿というのをずっと試行錯誤しています。
その中の一つが「モブプログラミング」の導入です。モブプログラミングというのは、画面やコンピューターを共有し、チーム全体で同時に1つの作業のみを行うという手法なんですが、タスクに担当を付けず、今一番対応すべきタスクを全員でやっているというイメージです。
これは今でも続けていまして、結構メリットを感じています。
モブプロって時間がかかるし、新卒を迎える時にしか導入しない会社って多いと思うんですが、実際は複数人が時間差で同じことをするということがなくなりますし、一緒に設計もしているのでレビューやそのコメントの行ったり来たりの時間が省けるんですよね。それぞれの進捗の確認も必要なくなりますし。
その場で同じ仕事をすることでのコミュニケーションの質と量の改善を実感しているところです。
その他でも「今年いっぱいはリーダーを置かず、3人の合議制でやってみよう」とか「1on1ではなく3人で対話してみよう」とか、ちょっとずつ前とは変わった形を日々試しています。
そしてこれは極論かもしれませんが、僕の今所属しているエンタープライズチームがなくなる日が来ることは、ある意味本望かもしれません。それは、Backlogチーム全員がエンタープライズのリリース対応ができるということとイコールなので、僕たちの今の“特別”を標準化、当たり前にしていくことは僕の一つの目標かもしれません!!
— 最後の観点は目から鱗ですが、やはりsouさんらしい!souさん、今日はありがとうございました!