仕事も趣味もワクワクする気持ちを大切にしたい。6年間、Backlogの開発を支えてきた砂川さんのお話 #ヌーラバーになりませんか

インタビュー企画25回目!100回目までやっと1/4を達成しました。このまま全員紹介目指してがんばります!今回はBacklog課のディベロッパーである砂川祐樹さんのインタビューをお送りします!

ヌーラボのリゾートワークでもお世話になっている宮古島🥭出身の砂川さん。エンジニアになられたきっかけや、ヌーラボ入社までのご経験、今後の展望などについて伺います🎤
(Interviewer:Angela /Writing:Yoshida)

 

今日のInterviewee

           サービス開発部 Backlog課  砂川祐樹

沖縄県宮古島市出身。ヌーラボ独自の研修制度「リゾートワーク制度」を活用して、母校で教壇に立った経験もあり。沖縄本島の大学を卒業後、エンジニアとして東京で働く。その後ご家族にゆかりがある福岡に移住され、ヌーラボには2015年に入社。Backlogのボードゲーム *は砂川さん主導で作成されたもの。現在2匹の猫も一緒に暮らしている🐱

 *Backlogをボードゲームにしたら「プロジェクトテーマパーク」が生まれた話
https://backlog.com/ja/blog/making-of-project-themepark/


プログラミングは中学校3年生から
ゲーム制作に魅せられ、プログラマーになりたい夢を追いかける

—まずは、砂川さんがエンジニアを目指されたきっかけからお伺いしてもいいでしょうか…?

プログラム自体は中学校3年生から書いてます。小学校高学年の時に、スーパーファミコンの「RPGツクール」というゲーム作成ソフトで初めてプログラミング的なものに触れたんですが、面白くてハマったことを覚えています。
中学校に上がって学校の技術の時間にBASICの授業があったんですが、その時に本格的なプログラミングを体験し、(やっぱりプログラミングって楽しいな!)と思い、親に頼んでPCを買ってもらいました。

当時は「自前のゲームのキャラクターに友達の名前を付け、面白いことを言わせてみる」みたいな遊びをしたり(笑)高校生くらいになると、ちょっとしたじゃんけんゲームなんかも作っていました。
そして、やはりプログラミングは楽しいし、得意だし、ゲーム作りたいし…という理由で、沖縄の大学の情報工学科に進学しました。

—すごい…!中3からプログラムに触れるなんて。どのような軸で就職活動をされたんですか?

ゲーム会社の説明会は何社か行きました。しかし、沖縄からの就活はなかなか大変で、行きたい説明会に行くというよりは、日程が合う日に開催される説明会に予約を入れて…という感じでしたね。

その中でご縁をいただいた、東京にあるWebシステムの制作会社に入社しました。受注を受けて、Webサイトの開発から運用保守などを行う会社でした。
大手ショッピングモールに出店しているお店の自社ECサイトの制作や、モールサイトとの繋ぎ込み開発などを担当させてもらっていました。

 

偶然、新規ゲーム事業にアサイン!
プランニング、ディレクション、プログラミング…事業の全体に携わるように

入社して4年くらい経った頃、偶然にもその会社がオンラインゲーム事業を開始したんです。当時既に、PCで遊ぶブラウザゲームという市場があり、いわゆる”トラビアン系”の戦略ゲームとか、携帯で遊ぶソーシャルゲームがメインになる前の頃ですね。その事業が立ち上がってから少しして、そちらの事業に来て欲しいとお声がけをしてもらい社内異動をしたんです。

—へえ、思ってもみなかったゲーム事業が始まり、アサインされたんですね!!奇跡…そこではどんなお仕事をされていたんですか?

最初に任されたのが「キャラクターの設定」でした。当時はまだまだ、ゲームにシナリオや音楽などはついておらず、ゲームの“遊ぶ部分”だけが機能としてあることが多かった時代でした。“そのキャラクターをどんなキャラクターにするか”、“ガチャで出すキャラクターはどういうキャラクターがいいか”などの企画から任された感じです。
チームは4、5人と少人数だったのですが、ほとんどのメンバーはWebシステム開発から移ってきていて、ゲーム開発に関しては素人みたいなものばかりだったため、もう、みんなで見よう見まねで必死に色々なことを覚えていきましたね。

ある日、みんなで話をしているうちに「キャラクターの図鑑」の機能があったら面白いんじゃないかという話になったんですね。それまでキャラクターの画(え)しかなかったところにセリフを入れてみたのですが、結構ユーザーからの評判が良かったんです。
それをきっかけに、性格が垣間見えるようなそれぞれの設定を付け足して行き、どんどんキャラクター設定に力を入れるようになり、プログラミングはもちろん、ディレクター的な動きもしていました。

—ゲーム事業の全体的なお仕事を任されていくようになったんですね!

そうですね。加えて、実はそこで4コマ漫画も作っていたんですよ!(笑)毎週2本程度だったと思いますが、ゲームコンテンツやキャラクターを紹介する4コマのシナリオを書いて、漫画にしてもらっていました。

 

仕事も趣味も「面白さ」は自分の重要な軸
その瞬間の情熱をいかに感じられるかを大事にしている

—砂川さんは、元々ゲーム好きだったとは思いますが、全く新しいことに挑戦するにあたって、勉強など大変ではなかったですか…?

この件に限ったことではないんですが、これまで「勉強しなければ」と思ってしたことがほぼないんですよね(笑)もちろん仕事に関しては締め切りがあるのでそれを守った上で、仕事も趣味も、僕にとっては「面白いので続けている」という方がしっくりきます。

「レベルアップしよう!」と気合いを入れてやるよりは、その時にどれだけ楽しめるかを大切にしているので、この時のゲーム運営の仕事も、ユーザーの反応を見ながら、開発を介して一緒にゲームで遊んでいたという感覚でした。

—そうなんですね!締め切り駆動の私はハッとさせられました…今、ご自身で取り組まれている「絵」もどんどんお上手になられているので、一度ロックするととことん突き止める方かと思っていました。

絵に関しては、趣味としてゲーム開発に取り組んだときに、全く絵が描けないことに気づいたのが最初のきっかけです。出来上がったゲーム画面が酷すぎて、テンションが上がらないんですよね(苦笑)絵がかけたらいいなという思いから、ちょっとずつ練習を重ねているという感じです。
始めたのが、ちょうど去年のお正月頃なので、1年半くらいですが、これも面白いので続けています。

やっと見られても恥ずかしくない程度にはなってきたかなと思います!

 

子育てを考え、支援ある福岡へ移住
改めて仕事にも面白さや刺激が大切だと気づき、ヌーラボへ

—そこから転職をされていると思うのですが、どんな転機だったんですか?

そうですね、ヌーラボに入社する前に一社別の会社で勤務しているのですが、転機となったのは「2人目の子どもの誕生」です。
新卒で就職してずっと東京で生活をしていたのですが、結婚し、子供が生まれて、周りに頼る人がいないことの大変さを痛感していました。僕は沖縄、妻は実家が福岡という状況でしたので、互いの両親を頼ることもできない。それであれば、頼れる環境に移住すればいいという話になり、福岡へ移住することにしました。

そこで新たな環境として選んだのが、システムの受託会社です。移住・転職のきっかけが「いかに育児を楽にするか」であったため、残業が少なく、働きやすい会社という軸で会社を選びました。
もちろん、ゲームに関して関われたらいいなあとは思っていたんですが、優先度としては高く置いてはいませんでしたね。

—ヌーラボに入社されたのはどのようなきっかけでしたか?

福岡に移住して最初に就職した会社は、確かに働きやすかったとは思います。基本定時で帰れていましたし。
でも、裁量も大きくなかったですし、新しい言語に触れる機会もほとんどなく、改善について提案しても、そもそも採用してくれる構造ではなかった。
確かに一緒に子育てにも参加できたことは感謝すべきことだけれど、この状態を変えずに面白いことができる会社にいけないかなと思っていたんです。

そんな時に橋本さんのリモートワークについての記事を読んだんです。
なるほど、もし今までよりも大変な仕事であっても、自宅で仕事ができるのであれば、子育てとも両立できそうだ…!と考えました。

—そんな、背景があったんですね!砂川さんは、入社してからずっとBacklog担当ですよね?

そうですね。今でこそ30人の部隊になっていますが、当時はBacklogチームがまだ5、6人だった頃です。機能開発、バグ修正などのエンジニアの仕事をしながら、グロースハック的な数字の管理も任せてもらっていました。
当時はまだマーケティングチームもなかった頃なので、例えばトライアルしてもらったユーザーがどれだけ正式契約に繋がったかなどの数値を追ったりするような業務もエンジニアとして担当していました。

ただ、グロースハックというには、当時から日本のBacklogは大きすぎました。クチコミで来るユーザーも多く、ボタンの文言一つ変えてみたところで大きく数字が変わるという訳ではないので、なかなか効果がわかりづらく、自分の中では思ったより上手くは回らなかったと思っています。難しかったですね。

 

—確かに、その状況でのグロースハックはなかなか難しいですね。でも、砂川さんの取り組みをきっかけに、会社全体に数字の意識が生まれたと思っています!

ありがとうございます!データを取り始め、それを会社に発信することで会社に数字の意識が広がっていった実感はあります。会社を大きくしていこうという時期でもあったのでタイミング的にもちょうどよかったかもしれないですね。

—その他、Backlogの開発などで大変だったことはありますか…?

そうですね、僕が入社してからは、メンバーも増えていき、優秀で尊敬できる強い人たちが仲間になってくれたのはとても心強かったです。

大変だったことは、直近でいうと状態のカスタマイズ機能※を作る時も、メンションプロジェクト※の時もそうなのですが、歴史のあるプロダクトであるが故にコードが整理されていない部分があることと、また「課題」はBacklogの中心にある機能ということもあり、一つの小さい機能開発に見えていても、Backlogというプロダクトのほとんどの部分に手を入れる必要があったという点ですね。

でもそれを乗り越え、これらの機能をリリースできた時は大きな達成感でしたね。ユーザーからの反応が何よりの励みになったと思います。

※2019年「課題の状態が自由にカスタマイズできる機能」をリリース
https://backlog.com/ja/blog/backlog-update-2019-10-24/
※2021年「ユーザー名」でのメンション通知機能をリリース
https://backlog.com/ja/blog/backlog-update-2021-02-25/

 

今もまだまだそういった、昔の状態が残っているというシステム的な課題はありつつも、入社した時に比べると、同時に複数のプロジェクトが動いている今は、とても良い環境になっていると思います。

少人数の複数チームの体制になってから、もちろん、最初はそれぞれのチーム間でのコードの衝突や、やっていることの調整などが必要な場面もありましたが、今はそれを乗り越えて組織的な成長をしている実感があります。

 

お客さまからの信頼をより得られるように
“攻めと守り”でBacklogをさらに大きくしていきたい

—これから、Backlogはどういった状態を目指していますか?

まずはより「開発しやすい環境」に変えて、もっと“攻め”ていけるようにすること、そしてどんどん増えているユーザーさん方にとって、より信頼できるサービスであり続けるための“守り”の両軸で支えていきたいと思っています。これは、僕たちBacklogチームの使命だと思っています。

僕のチームでは、よく「素早く動けるようにしよう!」とよく言っています。今後、Backlogをさらに良いサービスにしていくためには、フロンドエンドの改修は必須だと思っているんです。なかなか今の状況だとフロントエンドが整っていないため、やろう!と決めた時に素早く動けるような土台を整備していきたいと思っています。

素早く動ける仕事は、楽しいですしね!


—砂川さんご自身としてはこれからの目標などはありますか?

今の仕事は、何よりもユーザーさんの声が見えることが嬉しいんですよね。問い合わせも直接見ることができますし、何か新しい機能を出せばTwitterでの反応もあるし、まず、これは大きな原動力ですね。

ヌーラボの文化であり、良いところであるんですが、誰かにやれと言われてやっている仕事はほとんどないので、だからこそ、「何をどう作る」などをチームで常に話し合いながら、Backlogを向上させていきたいと思っています。優秀なメンバーとそれができることには、とても感謝しています!

 

—砂川さん、“攻めと守り”のBacklog、とても楽しみにしています!今日はありがとうございました。これからもよろしくお願いします!

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