今日は、Typetalk課 課長であり、プロダクト/チームを牽引する吉澤さんにインタビューさせていただきます!2009年にヌーラボに入社されてから12年の吉澤さん。吉澤さんには、5年前にもインタビューを受けていただいていますが、改めてヌーラボと歩んだ12年間について色々とお話しをお聞きします!
今日のInterviewee
サービス開発部 Typetalk課 吉澤 毅
名古屋の専門学校卒業後、東京のシステム会社に就職し上京。2009年、当時まだ20人もいないヌーラボに入社し、最初の4年間は受託開発をメインで担当。2014年、念願だったビジネスチャットツール”Typetalk”をリリース。現在、Typetalk課の課長として、チームを牽引する。
大学進学の意義を見出せなかった高校時代
ゲーム好きが高じて、ゲームプログラマの道を目指して専門学校へ
—吉澤さん、今日はよろしくお願いします!改めて、今回のインタビューでは、吉澤さんがエンジニアになられたきっかけなどからお聞きしても良いでしょうか。
はい。僕は、中学まではちゃんと勉強をするいい子だったんです(笑)でも、高校になってからは友達と麻雀やったり、ちょっとブラブラしていたんですね。もちろん、最低限の勉強はしていたんですが、大学に行ってやりたいことがかわからないという状況で。
そんな時、情報専門の大学に行っていた5つ上の兄から、「これからは情報処理の時代になりそうだし、この領域を学んでおけば食いっぱぐれることはないだろう」というアドバイスをもらったんです。
1999年頃でインターネットが流行り始めた時でもあり、実家の浜松から近い名古屋で専門学校を探しました。当時は珍しい4年制の専門学校で、実は最初はゲームプログラマになろうと思って入学をしたんです。
—そうだったんですね!それは意外です。最初は・・ということはそれから専攻の変更をされたんでしょうか?
そうですね。ゲームは子供の頃から大好きでした。ドラゴンクエストのような RPG ゲームを想像して自分でマップを紙に書いてつくったり、迷路を書いたりと、「何かを作りたい!」という気持ちは昔から大きかったのだと思います。
合計で100時間を超える時間を費やしたゲームもあったりと、親からは「何を考えているかわからない」と心配されたこともあります(苦笑)
専門学校に行って、最初の1年は幅広く基礎を学ぶ期間だったので、情報処理、マルチメディア、HTMLなど、色々と学びましたね。ただ、やはり子供の頃からBASICをやっているような人なども結構いたりして、ゲームを作る基礎が全然違う人たちが集まっている中、自分はこっちの道ではないのかなあ…という思いがだんだん強くなっていきました。
そこで、僕は1つの大きな出会いをしたんです。同じクラスにいた年齢は1つ上の友達なんですが、彼は、高専出身でプログラミングがすごいできた人だったんですね。
僕は、C言語が全然できなかったんですが、彼の真似をしていたら少しずつできるようになって、楽しくなっていったんです。彼は情報処理の専攻で、よく話をするようなり、一緒に過ごす時間が増えていき、気付いたら彼と同じ専攻に変更をしていました(笑)
進路も就活も転職も…
人生の岐路で常に支えになってくれた友人の存在
—尊敬できる友人というのは、羨ましいですね!専攻を変更してからはどのようなことを学ばれていたんですか?
専門学校2年目は情報処理を選考し、4年生までVBを使ったり、Webシステム作ったり、データベースにアクセスするなど、そのまま仕事に直結するようなことをやっていましたね。専門学生のうちに最低限勉強しなければいけないことはやっておこうと、旧・第一種/旧・第二種情報処理技術者試験を受け、資格取得をしました。
3年の冬に就職活動が始まったんですが、名古屋で就職か実家の浜松での就職を考え、双方で受験をしました。あまりうまくいかず落ちてしまうこともあり悩む日々が続いていたんですが、そんな時に救世主が現れたんです。
—救世主!どんな人だったんですか?
情報処理を専攻するきっかけをくれた友人は、すでに東京の会社に学校の斡旋で内定をもらっていたんですが、彼が優秀だったということもあり、僕たちの専門学校から追加で数名募集枠ができたらしいんです。それを聞いた僕は「自分も東京に行きたい!」という思いと、目指していたシステム会社だったということもあり受験をし、無事内定をもらうことができました。まさに救世主です!
彼とは一緒に名古屋から上京し、元々は別部署での配属だったんですが、同じプロジェクトにアサインされることもあり、就職しても関係性は続いていました。
「1年目にしてはプログラムがかけるやつだ」と認めてもらい、同じプロジェクトにアサインしてもらった時は本当に嬉しかったですね。
一方、当時はまだまだ3桁の残業時間も珍しくない時代だったということもあり、そんな状況に僕も彼も本当にこのままでいいのかな…とキャリアについて考えるようになりました。
結局、友人は入社から半年で会社を辞めてしまったのですが、その後も個人的な悩みや相談を彼にはよく聞いてもらっていました。(今も関係は続いています)
僕もこの業界自体を辞めて、実家の浜松に戻ろうと思っていたのですが、彼が「うっしー(吉澤さんのあだ名)は、この道の才能があると思っているし、辞めるのはとてももったいないと思う」と言ってくれたんですね。
新卒で入社をした会社は1年3ヶ月で辞めてしまったのですが、新たにシステムエンジニアとして転職をしました。
—就職も、転職も、ご友人の存在はとても大きかったんですね!新しい転職先はどのような会社だったんでしょうか?
新しい会社は、ヌーラボの前職になる会社だったのですが、独立系のFXと先物を取り扱っている会社で、当時はまだ40人くらいの会社でした。直受けのパッケージソフトを作っている会社だったこともあり、それまでの環境とは大きく違い、開発の自由度も大きかったです。
それまではJava中心に開発してたのですが、新しい会社ではC#/.NETでの開発に変わり、サーバーサイドメインだったのが、フロントエンドも担当するようになりましたね。40人から100人になる変遷も経験し、そこには結局4年ほどお世話になりました。
“注目のエンジニア”として知っていたヌーラボ創業メンバー
憧れの人たちと一緒に働きたい一心で、門戸を叩く
–そこからどのようなきっかけでヌーラボに入社されたのでしょうか?当時はまだ20人もいない時だったと聞いています。
そうですね。2007〜2008年頃、Web業界が盛り上がってきて、いわゆる今のSaaSと呼ばれる自分たちでサービスを作ってWebで売って行くというスタイルがスタンダードになってくるんだろうな、と思っていたんですね。その頃からWebサービスに携わることを視野に入れていました。
ただ、ヌーラボ自体は、プロダクトというよりは、”注目のエンジニア”として創業メンバー3人のことを知っていたという方が正しいかもしれません。
元々、学生時代の友人(今回登場4度目…?笑)が、JavaのWebフレームワークを使うのが主流になり始めていることを教えてくれていたんですが、それがきっかけで、福岡のMobsterという団体が色々とフレームワークを調査してWebにアウトプットしていることを知ったんです。それが橋本さん達3人だったのです!
2005年にBacklogがβ版で公開された時に「Slashdot」という有名なサイトで、Backlogというバグトラッキングシステムを福岡のヌーラボが開発したというニュースを見て、Backlogの存在を知りました。(当時の記事はこちらhttps://developers.srad.jp/story/05/06/21/0629201/)
僕がJavaとC#/.NETを強みとしていたこと、当時BacklogもJavaで開発していたことから、働いてみたいなあ〜と興味を持ってはいたんですが、先取りをしている人達の中で僕だとついていけないだろうな・・と正直、自信はなかったですが、思い切って東京メンバー募集の門戸を叩いたんです。当時は、まだ全社で20人もいなかった頃ですね。
–そのようなきっかけがあったんですね!ヌーラボに入社されてからはどんなお仕事を任されていたんですか?
当時はまだ受託のサービスもしていましたから、2013年までの4年間はメインは受託の仕事を担当していました。お客様と直接仕様などを一緒に考えながら進める案件がほとんどだったので、楽しかったですね。そんな中、入社して1ヶ月でBacklogの「スター機能」のプロトタイプを作ったり、Cacooのβ版開発をしたりと、ちょこちょこ自社サービスの開発にも関わらせてもらっていましたね。
–シンガポール拠点の立ち上げはどのような経緯でアサインされたんでしょうか?
2012年8月頃でしたかね。元々アジアにマーケットを広げようとして、すでにコアメンバーがシンガポールで開発・CS・マーケティング部隊を立ち上げる準備を進めていたんです。そこに一緒にジョインするかたちで声をかけてもらいました。
僕はそこで、現地メンバーのBacklog、Cacoo開発のヘルプをしたり、開発周りの採用業務なども行っていました。当時は、日本から来た3人とシンガポール現地の2人の合計5人で活動をしていました。
英語に関しては、全く話せない状態でした(苦笑)それこそ、高校の英語のテスト以来ですね。当時は、Webサービスの英語学習のサービスを使っていたんですが、仕事が終わって、家に帰ったらひたすらその学習サービスで勉強をし、あとは実践で慣れて行くという感じでした。
最初の3〜4ヶ月は、異国の地で言葉もろくに通じず、本当に辛かったですね…(苦笑)
自分たちが使いたいサービスを自分たちで作る!
ヌーラボ3つめのサービス“Typetalk”の立ち上げ
–2012年にシンガポールに行かれて、2014年にTypetalkがリリースされるまで2年間しかないのですが、どんな風に開発は進めていらっしゃったんですか?
Typetalkは、シンガポールで受託の業務をやりながら少しずつ開発の準備を進めていました。当時、ヌーラボではBacklogとSkypeを使って仕事をしていたんですね。Skypeはミーティングとチャットツールとして使っていました。
シンガポールに行く前から、橋本さんや周りには「チャットツールを作りたいんですよね」と言っていたんですよ。
–吉澤さんがビジネスチャットツールを作りたい!と強く思われた背景はどんなところだったんですか?
大きく3つあります。
1つ目は、2010年に開催された「コラボレーションカンファレンス」での経験が大きな軸になっています。その時は、1つのテーマに対してたくさんの人たちと意見交換をし、そこから新しい考えを見つけるというテーブルワークを行いました。
そこで気づいたのは、いつも同じメンバーと話していると、アウトプットは限界がくるということ。だからこそ、1つのテーマに関して、さまざまなチーム、役割の人たちが簡単に意見を交換できる場を作りたいと思ったのがきっかけです。
Skypeでのチャットは、グループごとに会話の閲覧者が限られていたこともあり、そこをもっと開放していきたいと思っていたんですよね。
2つ目は、どうしてもチャットから漏れてしまう課題を、課題管理と関連付けられるサービスがあったらいいのにと日々思っていたことですね。せっかくBacklogという課題管理ができるツールを運営しているからこそ、ここの連携はまずはヌーラボがやるしかない!と(笑)
3つ目は、これは、エンジニアとしていつか自分のサービスを世の中に出したいという夢があったことです。小さい頃から物作りが好きだったこともあり、自分の作りたいものができた暁には、それを形にしたいという思いがあったからこそ、挑戦できたのだと思います。
数年おきに環境や役割が変化
常に新鮮な気持ちで仕事に挑める
–ヌーラボに入ってからの12年間を振り返って改めていかがですか?
自分でもこんなに長くいるとは思わなかったというのが正直な思いです。こんなにすごい人たちがいる中でやっていけるかなという思いが最初の数年は大きかったんですが、受託開発しながら、Backlogを作ったり、運用している人たちの行動を目の当たりにできていたのは、僕の成長の機会としては絶好の場所でした。
12年というと長く感じますが、入社して3年後にはシンガポールに行くことになり、僕としてはここで一度転職したと思っているんです。ここでは、全く違う環境で、新しい働き方ができた。ヌーラボにいながらも、一度リセットしている感覚です。
日本に戻ってからも、Typetalkのプロダクトオーナーとしての新しいミッションを追わせてもらい、数年はエンジニアリング領域に注力、そこからプロダクトマネジメントに注力、今はチームビルディングにも関わらせてもらっていたりと、3、4年おきに少しずつ役割が変わっているんですよね。
最初は、フレームワークどうするか、アーキテクチャどうするか、マーケティングはどうするか…などテックよりの話ばかりしていましたが、今は本当にプロダクトをうまく作っていくためにどうチームを動かし成長させていくか、組織論についてものすごく考えるようになりました。
そう思うと、ヌーラボでは、本当に自由にやりたいことをやらせてもらっていると思います。この場を借りて改めて感謝を述べたいですね。
Typetalkというプロダクトで市場に、
リーダーとして、ヌーラボにインパクトを与える人になっていきたい
–これからやってみたいこと、吉澤さんの展望があれば教えてください。
はい。2つあります。
1つはTypetalkというプロダクトについて。
今の延長線上で、中長期的に市場にインパクトを残せる動きをしていきたいと強く思っています。それは、競合よりユーザー数をもっと伸ばして、というようなものではなく、チャットツールに関してまだどのサービスも解決できていないような問題をTypetalkが解決するなど、そんなことを実現していきたいと思っています。
もう1つはチームリーダーとして。
これからは、もっとチームに委譲することを意識したいと思っています。僕がマイクロ的なところまで入り込んでしまう癖があるため、もっとチームのみんながそれぞれ主体的に動けるような環境を作りたいです。
とはいえ、「じゃあお願い!」で放置してしまうのも迷わせてしまう。これらのバランスを保ちながら、ビジョンも、目標もみんなで同じ方向に向かい、開発も改善ももっともっと加速するチームにしていきたいですね。
–最後に、どんな人に仲間になってほしいですか?
物事を主体的に考えて、行動を一緒にしていける人ですかね。ちゃんとお互いにレスポンシビリティを持ちながら、切磋琢磨していける関係性を築ける方に仲間になってほしいですね!
–吉澤さん、ありがとうございました!大切な時に助けてくれる友人との出会い、常に新しい環境に恵まれていることなど、偶然のように見えて、でもこれも常に周りを大切にし、多くの人から支援される吉澤さんの人柄の良さが引き寄せているんだなと、インタビューを通じて改めて感じました。
今日はありがとうございました!!