ヌーラボのAngelaです!実はヌーラボは、採用時の勤務地条件を廃止のニュースを出してから、今まで以上にたくさんの人にご興味を持っていただいています!ありがとうございます👏
日経新聞さんにも取り上げていただきました!
【#メディア掲載情報👀】#ヌーラボ の採用について、日本経済新聞に掲載されました📰 テレワークを主軸とした勤務形態になったヌーラボでは、これまで以上に場所を問わないコラボレーションが加速しています🏍💨
— Nulab Inc. | (株)ヌーラボ (@nulabjp) September 23, 2020
今日はSREとしてBacklogのインフラを支えながら福岡移住も叶えた山崎さんの話を聞いてみたいと思います。今でこそ勤務地条件の廃止があるので全国どこでも働けますが…!そんなご時世だからこそ“どこで暮らすか”の重要度は増してきているはず。福岡の暮らしについても一緒にお届けします。
今日のInterviewee
サービス開発部 SRE課 山崎 毅
2017年に当時インフラ専任担当としては2名目として入社。入社1年後に念願だった福岡へのUターンを実現。現在は海岸の近くの新居で4匹の猫と奥様と暮らしている。
インターンで学んだことを糧に大学3年時に起業
— もともと私と同じ東京事務所に所属していましたが、Uターンをされた山崎さん!改めてエンジニアになるまでのお話から伺いたいです。
出身は福岡ですが、大学は岡山の学校に進みました。工学部数学科から派生して新しくできた情報系の学部の一期生としての入学でした。数学科から生まれただけあって、情報代数・情報幾何など、名前には「情報」が入っているものの中身は数学という授業ばかりだったことを記憶しています。
そんな中、大学1年生のときに独立起業を支援する雑誌の「アントレ」で15歳でレンタルサーバー会社を起業した方の記事を読み衝撃を受けたんですよね。
「中学生にできるなら自分たちにもできる」と考え、岐阜県出身の同級生に案内してもらいながら名古屋にあったその会社を突撃訪問しました。起業について話をきくなかで「一緒に仕事をしませんか」と誘っていただき、大学時代はそこでインターンをしていました。
— アントレー!!(前職でアントレと同じ部署だったAngela興奮)。そこで出会ったのが株式会社クララオンラインなのですね!今や福岡のインフラになりつつある「チャリチャリ(旧名:メルチャリ)」を運営していて福岡にゆかりもあって、なんだかご縁を感じますね〜!
Backlogの初期の頃に使っていただいていたんですが、サービスが瞬く間に広がっていったのでたくさんのお客さまの中でもすごく印象残ってました。こうしてすれ違える福岡すてき。 https://t.co/9rRgvqPHb6
— Kentaro Iemoto (@iemoto) September 19, 2020
このお話を聞いた直後にクララオンラインの家本さんとヌーラボの橋本さんのツーショットがTwitterで流れてきて驚き。Backlogは昔、クララオンラインのサーバーで動いていたと後から知りました。
学生とはいえもう当時からノートPCを持ち歩いて講義の合間や夜に大学に籠もって仕事漬けの毎日を送っていました。情報系の学部にはいたものの、1997年の入学した頃の時代は学生がノートPCを持ち歩いていること自体が希だったので奇異の目で見られることもあったと思います。
しばらくして支店をたちあげる話が出たので、オフィスの物件探しからネットワークの引き込み、営業、レンタルサーバーのメンテナンスなどなんでも経験させてもらいましたね。
— ここまでのお話でも十分すぎるほど行動力がある学生だと思うのですが、3年生の時にはもう独立されて起業されるんですよね。
そうなんです。インターンで得た経験をもとにレンタルサーバー&Webページ制作を行う会社を起業しました。5人の友人で立ち上げた合資会社で、資本金も10万円あったか…。仕事を取ってくる中で、県や市の情報システム推進政策の話を聞きつけ、岡山市のインキュベーションセンターに入居しオフィスを構えることになりました。
学生起業なので資金が豊富にあるわけではありません。サーバー機器を購入するお金もなくて、パーツを買ってきて組み立てたPCでレンタルサーバーサービスを提供するようなこともありました。
岡山からは遠い、千葉県の柏市にあるデータセンターの一角にサーバーを置かせてもらっていたのですが、サーバーが壊れた時なんかは緊急で用意したサーバーを担いで新幹線、電車、バス、徒歩で移動し、搬入作業をしたことは、今ではいい思い出です。
今もその会社は共同創業した仲間が継続していて業績を伸ばしています。
General Meetingでのひとこま
卒業後も自分の会社で働く。その後初めての「転職」
— 今もあるんですか?!学生起業した会社や運営していたサービスを売却した…なんて話は聞いたことがあるのですが、今も伸びているのはすごいですね。卒業後もこの会社の会社運営に入られたんですよね?
そうですね。卒業時には普通の就職活動はせずにそのまま会社を大きくすることに夢中でした。
とはいえ学生もやっていましまので卒論を書かねばなりません。卒論のテーマを探している際に、XML関連ソフトウェアを開発する横浜ベイキット と出会いました。OSSのコードそのものには触っていませんが、横浜ベイキットのOSSを活用したサンプルのアプリケーションを開発し、卒論で発表しました。
その時のご縁で、Software Design 2002年10月号 や横浜ベイキットオフィシャルガイドで執筆の機会をいただくようになりました。
この時のXMLとのご縁がきっかけで、初めての就職…というか、自分の立ち上げた会社からの転職のような形で大学時代の同級生が働いていた 印刷会社 のSI部門に転職しました。
臨床検査の電子カルテをXMLからHTMLやPDFに変換するスタイルシート(XSLT)の開発や、官報XML化やEDINET提出用XBRLデータ作成アプリの開発を経験しました。教科書系の書籍を手がける出版社との六法全書のXML化プロジェクトなんかも進んでいたようです。当時は印刷業界がXMLに夢中になっていた時代だったんですよね。
— そっかぁ、はじめての一般企業への就職が「転職」なんですね。(新卒の概念が薄れつつあるこれからの日本で重要になってきそうな話だ…)。その後も何度か転職を経てヌーラボに出会われるわけですが…
はい、その印刷系の会社ではなかなか携われなかった「開発」そのものがやりたくて当時、五反田にあったベンチャー企業に転職しました。SIにいた頃は、一次請け部門のような部署にいたので開発実装の部分は下請けにお願いして、プロジェクト管理をする役割になってしまっていたんですよね。しかも熟練の下請けさんの方が立場が強い。このまま「コードが触れない人たち」として扱われていていいものか?と思い転職を決意しました。
だからといって開発できるスキルがあるわけではありません。転職先では社内をみわたしながら仕事を見つけていくうちに情シス、そして開発・運用案件のインフラ担当などをさせてもらえるようになりました。当時は200台くらいの物理サーバーを4〜5人で運用していました。
その後、自身がコーディングを担当した案件がリリース目前でお蔵入りになったり、などの要因もあって会社を退職。しばらくはフリーランスで活動しました。しかし、フリーランス時代の案件で開発の発注元と音信不通になり1円も受け取れない事態が発生…慌てて転職した会社がヌーラボの前の会社です。
そこでは、化粧品会社の社内システム開発やたばこ農家に関するサイトを担当していたのでその領域には詳しくなりました。特に印象に残っているのは、国の機関と災害や大規な模感染症が起きた際の情報共有や医師や看護師のアサインを調整するサイトの開発を行ったことでしょうか。最大規模のアラートを発する機能を開発していたのですが、その際「これが必要となる規模の災害は想像できない」と話していたんですよ。でも、プレリリースの段階で東日本大震災が発生し、実際想像を超える規模でのアラート発動となりました。
ヌーラボには2人目のインフラ専任担当として入社
— それはなんとも皮肉な。今年は新型コロナウイルスも発生しているので、この分野のシステムの必要性は増してしまいましたね…。ヌーラボに転職する際はどんなことを考えられていたのですか?
何よりも「なんのためにこのシステムを作るのか」にこだわりたい気持ちが湧いてきていたのが大きいです。SIや複数の開発会社で動く案件を担当していると、予算都合で仕様が変更になることが多く、開発の目的がぼやけることがあります。これで本当に良いものが作れるのかな?と疑問に持ったこともあって自社サービスをもつヌーラボに入社を決めました。
当時は現SRE課の課長の松浦さんしかインフラ専任の担当がいなくて、自分が2人目としての入社でした。入社してすぐに福岡に出張し、すぐにBacklogのVPC環境へ移行する作業に参加しました。
当時のBacklogは緊急を要するアラートが頻繁に発生していました。サーバー移行の対応をしながらもアラート対応を行い、セキュリティ対応のアップデート、夜間メンテナンス…などなど休むまもなく色々なアラートが上がりました。頻繁にGoogle meetを繋いで対応を相談していましたね。
その中には、例えばKernel Updateや脆弱性対応のアップデートなど、すぐに対応したくてもできないようなものがありました。その後、SRE課にはmuziさんが加わり、徐々にチームが強化され、開発チームとの連携も高まってアラートの根本対応が進んで行きました。アラートを沈める対応から、根本解決するための行動に徐々に変化してきたのもこの頃です。
— そうか、当時はかなり少数で動いていましたもんね。今では考えられない。最近はSRE課も大規模でかつグローバルなチームになってきましたね。昨年まで日本に住んでいたフランス在住のJalalやアムステルダム社のメンバーも加わりました。
そうですね、今では15名を超えました。属人化しかけていた仕事を分担できるようになり、完了までのスピードが大幅に改善されています。
昨年はAWS面の改善にも取り組みました。年間予算を鑑みた時にギリギリ、もしくは超過するだろうと予想できたのでサーバーの運用コスト見直すことにしました。
見直したポイントはデータの転送の動きです。大きく分けて3つあって、ひとつめはファイル機能やGit機能用のストレージの確保の仕方を変えることによる使用率と容量のバランスの改善。ふたつめは、バックアップスクリプトの修正と転送先となるS3のリージョンの変更です。。簡単にいうと、差分だけ転送すれば良いところをまるごとデータ転送をかけている部分があったんですよね。一見すると問題無くバックアップ処理が動いているのでコストの観点で見直さなければ非効率な処理にも気づけませんでした。最後が、muziさんを中心に取り組んだ課題検索の仕組みの改善です。検索インデックスを複数のアプリケーションサーバに転送する仕組みを止めElasticSearch Serviceに集約することで転送容量を削減しました。
これらの取り組みの結果、監査法人や社内から「Backlogのユーザー数の増加に対してAWS費用があまり増加していないのはなぜか?」という問い合わせがあるほどの費用効果が得られました。
改善の取り組みの成果がわかるグラフ。具体的な金額等は削除させていただいています。
こういった取り組みにはAWSのTAMからいただくアドバイスも参考になります。これからもSREとしては、AWSの機能を試すことや、検証用途でサーバーを起動することを制限するのではなく、設計の見直しや運用改善で費用の最適化を目指したいですね。
「コスト削減を目指す」ということを目的に掲げてもテンションは上がりにくいものです。改善活動の一環として何かを制限するためにやるのではなく自由を増やすためにやっているんだと考えると気持ちいいですよね。
— 改めてこういった活動の上でサービスや会社が支えられているんだなと思いますね。感謝です🙏一気に話題は変わりますが、最近では新型コロナウイルス対策でのテレワークや移住が注目を浴びています。流行に先駆けて(?)移住し、新しい生活を手にされている山崎さん。福岡での暮らしについても教えてください。
福岡出身ではあるのですが、今住んでいる福間エリアには特にゆかりはなかったんです。4匹の猫と住んでいるので、最初の引っ越しで賃貸物件を探すのには苦労しました。1匹ならOKという物件はあるのですが4匹となると貸主も想定外みたいで…。そんな中で偶然見つけた物件が今のエリアにあったので暮らしはじめました。
みんな大好き猫画像を入れさせていただきますよ
そんなある日、家の近くに住宅分譲地ができると聞きました。土地の値段も格安で海まで徒歩1〜2分程度。偶然の出会いから今の場所に家を立てました。玄関からも波の音が聞こえるレベルの場所で気に入っています。
— いつもSNSでこの風景をシェアされているのを見ていて本当に羨ましいです…。海のあるところで暮らしたい…。最後になりますが、これからやってみたいことはありますか?個人のことでも仕事のことでも!
ヌーラボにいる車好きをもっと掘り起こしたいと思っています。趣味でカートに乗っていてヌーラボの面接の時もほとんどその話をしていたんです(笑)まだまだ車好きがいそうなので一緒に沼にハマりたいです。
あとはヌーラボのYouTube動画編集をしている部活「NuTu部」のメンバーに、僕のカート動画やフォーミュラカーを運転した動画を提供するので編集してほしいですね!よろしくお願いします!(笑)
— いつもチャンネル登録と高評価を欲しがっているNuTu部のみなさん!呼ばれてますよ!山崎さん、ありがとうございました!